UTUWAのブログ

笑いとふざけと、時々、まじめ。

誰のためのボランティア?

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は仕事をサボって、つくば市主催の

『第2回子どもの学習支援・居場所づくりボランティア登録説明会および特別講演』に参加してきた。

100名ほどで埋められた会場を見て、

ボランティアへの関心の高さを改めて感じた。

 

 

岡本もその一人で、

子ども食堂や学習支援など、

子どもにまつわるボランティアをしたいなと。

 

 

社会問題の連鎖を断ち切りたいとか、

古き良きコミュニティに似た、ゆるいつながりを持つ共同体をつくりたいとか。

そういう個人的な思いもある。

 

でもそれだけじゃなくて、

UTUWAの子たちのために、ボランティア活動がとてもええんじゃないかと。

 

 

 

 

子どもたちは同質化された世界(=学校)を生きている。

同じような価値観をもって、同じように考え行動する者ばかり、

そこから“はみ出した”者たちは―たとえば特性をもつ子どもたちが支援学級に送られるように―空間を共にすることを許されない。

 

 

経済力で分けられ、学力で分けられ、障がいの有無で分けられ…

そんな排他的な世界で生活していれば、

自分とは“異質”な人間を排除する姿勢が身につくのは当然だろう。

 

 

 

でも、その考えは人生を豊かにしないんじゃないか。

世界が平和になるためにも、

自分が本当にやりたいことを見つけるためにも、

“異質”の存在を認めることが大事だと強く思う。

 

 

嫌いなやつ、気の合わないやつも

自分と等しく価値をもった存在であり、

理由なくいじめたりハブにしたりしない。

 

 

自分とは異なる意見や考えを頭ごなしに否定せず、

そこに成長や深化のきっかけがあると信じられるか。

 

 

まったく新しい体験を通して、

今までの自分を更新したり、新しい自分を発見したり、

自分の強みや良さに気づいたりできるか。

 

 

 

 

1年中同じ気温の地に住む人には「寒い」も「暑い」もないように、

「平和」や「幸せ」は相対的なものだったりする。

 

また、「寒さ」や「暑さ」に優劣などないように、

人にも優劣などない。

 

 

 

 

UTUWAに通う子どもたちは本当にいい子たちばかりだ。

その反面、思考や価値観の狭さを感じることも多い。

 

 

ボランティア活動を通して、

彼(女)らのなかでは“異質”な境遇や生き方をする人たちと出会い、

自分たちがいかに恵まれた境遇にあるのか知ってほしい、

そして、既存の価値観を適宜こわしてほしいのだ。

 

 

 

 

そんなことを話すと、

支援する側の都合で、そんな気楽にボランティアをするなと

ご指摘を受けるかもしれない。

 

 

 

その指摘については正直なんとも思わない。

困窮している人たちを助けたいという気持ちは大切だが、

気持ちだけでは人は助けられない。

 

気持ちも大事なのだろうが、それよりも大事なのは

目の前の困っている人に手を差し伸べること、

つまり行動が起こされることではないか。

 

 

 

もう1つ、

支援が必要な人を優先して考えることは大事だれど、

もっと大事なのは、

ボランティアの仕組みが長期的に維持・運営されることだろう。

 

 

それを考えれば、支援を受ける側だけでなく、

支援・運営側で働く人たちも同様に大切にすべきだ。

 

 

ボランティアによってつながる全員にメリットがあるような

そんな組織運営を頭に入れないと、

その組織はすぐに解体してしまうか、

支援者の自己犠牲によってなんとか維持されることになるだろう。

 

 

 

社会活動は得てして、自己犠牲が美徳とされるが、

どこぞの会社の社長が高級車を乗り回すのはOKで、

社会活動に貢献するNPOの代表がちょっと贅沢すると

非難されるような社会っていったい何だろうなと思ってしまう。

 

 

 

 

話はそれたが、

長期的に維持でき、自己犠牲に陥らず、

支援する側も大きな学びを得て、

ボランティアにかかわる人たちみんなが笑顔になれるような

そんな組織を作ってみようかしらと。

 

 

そんなボランティア組織なんてほとんどないから、

理想通りの組織づくりは相当難しいのだろうけど。

 

 

いつとは言えないけれど、

小さなことからコツコツやってみて、

少しずつ理想に近づけることができたらいい。

 

 

UTUWA生や、親御さんとのつながりを通して、

社会に貢献できるといいな。